映画「きっと星のせいじゃない」の原題は「The Fault In Our Stars」
原作には「さよならを待つふたりのために」という邦題が付いている。
末期がんの若者が出てくる、普通のお涙頂戴の映画かと思っていた。
でも、違った。
私は、映画を見て泣かない。
感情が欠落しているから、と、思っている。
諦めではなく納得として、仕方がないのだと、そう思っている。
私というのは、そういう生きものなのだと納得している。
映画の主人公は、自分が末期がんで余命が長くないことを知っている。
そして、自分がいなくなった後、悲しむ人を増やさないために孤独でいることを選ぶ。
見かねた母が連れ出したがん患者の集会で、彼女は彼に出会う。
彼は、自分がいなくなっても
みんなが自分の名を覚えているように、何か大きなことを成し遂げたいと常々思っていた。
これは、何だか、男女の特性を表しているいるようにも思える。
彼女は彼の思いは理解できなかった。でも、彼に寄り添う。
私がいる、私が覚えている。それでは駄目なのか?と。
彼女は彼には伝えた。
0から1の間には何もないと思っていた。
0.1、0.01、その他多くの数字があるのを教えてくれたのは、彼だった。と。
彼は彼女に伝えた。
恋をして、きっと傷付くこともあるだろう。でも、相手は選べる。と。
それは、私には「僕は君を選んだんだ」と響いた。
何かを失った時、そこに空いた穴は
年月が過ぎたからと言って、簡単に埋められるものじゃあない。
それをそのままにして、長い時間眺めて
納得するか
諦めるか
それとも、引き続き放置するか
遺された者は、選んで生きていくのだ。
これは、遺された人々のお話だった。
遺されてもなお、人は生きなくてはならない。